クルマ好きになったワケ

 子どもの頃、父はよく洗車に連れていってく

れた。今から45年くらい前、洗車は屋根付きの

建物の中を車が移動していき、その建物から出

ると終了だった。今のように洗車機が前後して

洗車するのとは違っていた。

 入り口から車に乗ったまま建物に入っていく

と、その先は勝手に車が動いて出口にたどり着

くのだ。エンジンは確か止まっていたと思う。

それが不思議で不思議でたまらなく面白かっ

た。父は私が洗車場に行くのを楽しみにしてい

ると知っていてしょっちゅう声をかけてくれ

た。洗車が始まると窓に張り付いて車に水がか

かるのをずっと見ていた。「なんで動くの?」

と思いながら。

 車が汚れていても洗車場に行かない時はまだ

子どもだったけれども手洗い洗車を任せてもら

えた。水洗いだけだったと記憶しているが暑い

日には水遊びさながら車を洗った。父を喜ばせ

たかったんだと思う。

 思春期にはそんな楽しみは忘れてしまってい

た。しかし、大学に入って親元を離れると、テ

レビでF1やパリ〜ダカール・ラリーを観るよう

になった。実家にはテレビがなかった。正確に

は途中でどこかに隠されてしまったのだが。そ

の当時はアイルトン・セナアラン・プロスト

が毎レース、デッドヒートを魅せてくれてい

た。予選でポールポジションがセナになると本

戦でも優勝するのがお決まりのパターンが多

く、次第に観なくなった。

 その代わり、世界で最も過酷なレースと言わ

れるパリ〜ダカール・ラリーに夢中になった。

砂漠地帯をオートバイやパジェロなどの四駆自

動車、カミオントラックで走破する。砂でスタ

ックして身動きが取れなくなった四駆。砂の丘

をジャンプして前に前に進むバイク。トイレは

どうするの?食事は?何もかもが驚きの連続だ

った。運転技術に圧倒されるばかりでなく、そ

のレースで命を落とす人がいる事にも衝撃を受

けた。日本人女性の山村礼子(現在は三好礼子)

さんがオートバイで参戦していた。見たことも

ない、聞いたこともない世界。

 私はといえば、約1年の留学を終え逆カルチ

ャーショックで完全にメンタルをやられてい

た。「自分の好きな事をしないと」と必死だっ

た。幸い、自動車免許は持っていたので、山村

礼子さんのようにオートバイに乗ろうと教習所

に通った。パリ〜ダカール・ラリーには参戦し

なかったがそれなりに楽しんだ。実家に帰る時

も250ccバイクで移動した。

 加齢とともに、バイクには何年も乗ってない

が、車がそれに取って代わった。冷暖房完備は

手放せない。実家への道のりもただ漫然と走る

のではつまらない。F1を観ていたり、バイクに

乗っていて覚えた走り方をマネてみた。

 運転に集中していると余計なことを考えずに

済む。いかに安全に目的地に着くかそれだけに

意識を向ける。車の性能自体は小さな車で期待

できないと思っていたけれど、軽量で燃費も良

く上り坂は坂を登る前に加速して助走をつける

と難なく越えられる。下り坂はエンジンブレー

キなどを駆使して早めに減速することでブレー

キパットへの負担を減らせる。 out-in-outやin

and outをカーブの様子、前の車の様子等を見て

使い分ける。滅茶苦茶、楽しい。小学生の頃、

男に生まれたかったと思っていた時期があった

が、女でも(中身は男?)存分に楽しめる。

 これから機会があったらレースにも出てみた

いと密かに思ってコロナ禍に国内A級ライセン

スまで取った。マニュアル車の運転もしてみた

い。まだまだやりたい事が満載なのだ。